日本レコード文化史 (岩波現代文庫)

日本レコード文化史 (岩波現代文庫)

幼いころからメロディーを覚え、それをハーモニカで表現できる世代が誕生したのである。大正に生をうけた人たちであろうが、彼らの意識下にあるフィーリングは、映画館の伴奏音楽によって醸成されたといっても過言ではあるまい。(P161)

蓄音機の音がやかましいといって隣家へ怒鳴り込み、乱暴をはたらいた男の話が横須賀貿易新報(大正四年八月十日)に報じられたこともあるが、ラジオの放送が始まると、本郷の下宿屋は近所のラジオ商から出る騒音に辛抱できず告訴した。(中略)新村出も音に悩まされる一人で、ジュネーブ軍縮会議になぞらえて「音縮会議」という短文を大阪朝日新聞に寄せた。『現代人は音響に対して非常に敏感になって来た。音楽の趣味が著しく向上すると同時に、音響に対する感受性と反撥性とも共に昂進せざるを得なくなった。音響の刺戟の過敏さは、昔日の人に比して現代の文化人は到底くらべ物にならないほどだ。(昭和三年四月一日)』(P165-166)

もともと“行進曲”とはマーチの訳語であるが、「道頓堀行進曲」の出現後は、社会の一段面をうかがい見る場合に“行進曲”という言葉が使用されはじめた。たとえば新聞の社会面においては、不良少年行進曲、流行行進曲、婦人洋装行進曲、シネマ行進曲などの見出しが、(昭和)三年中の関西の新聞に見られる。四年になると東京でも、文壇行進曲、交通行進曲、光りの行進曲、財界行進曲といった使われ方をする。映画の題名としても、十月に大学行進曲(米パテー作品)、十一月に結婚行進曲(米パラマウント作品)、十二月に愛恋行進曲(松竹蒲田作品)などがあるから、“行進曲”は流行語になったと考えてよかろう。(P176-177)

音楽評論家の伊庭孝は「最良の流行歌はヨーロッパ趣味のもの」という副題のもとに、「現代の民衆音楽」なるテーマで放送をする。そのなかで「東京行進曲」を攻撃したのが口火となって、わが国最初の流行歌論争が八月四日付読売新聞の紙上で展開された。伊庭はこう主張する。(中略)しかし民衆は、かりに歌の内容に不満があっても、「流行によつて審美的判断力を全く失」い、無意識のうちにその歌を口ずさむようになるから、当局は「流行するが故に」「悪趣味に迎合したもの」を禁じなければならぬ場合もある。(中略)大略このように述べる伊庭に対し、同紙上で作詞者の西条八十は反論をする。(中略)「癪にさはるなら、それを好んでうたふ大衆を責めるがいい」と言い切る。(P181-182)

昭和五年一月、講談社は流行歌浄化を目指して“健全なる歌”を募ったところ、全国から十八万通の応募があった。同社は「俗悪野卑の歌謡は家を汚し、人を毒す」という考えのもとに、同年末キングレコードを発足させる。(P188)

面白いエピソード満載でした。…抜粋しすぎ?